本年3月に告示された小中学校の新学習指導要領には「あらゆる学習の基盤となる言語の能力について、国語科だけでなく、各教科で育てることを重視する」と明記されています。国語科についても、特に小学校低・中学年において音読・暗唱・漢字の読み書きなど基本的な力を定着させる、ということが示されています。私は、かねてから国語力がすべての学力の基本と考えておりましたので、もちろん一定の評価をするものですが、何を、どのように学ばせるのかについては、必ずしも明確になっていません。国語教育については、小中高すべての課程にわたって、充実・強化を打ち出すべきであると思います。
15歳から16歳の生徒を対象とした、OECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)では、数学や科学においては依然として上位グループに位置しているものの、読解力では2000年の8位を最高に、2003年14位、2006年15位と順位を落とし、中位グループに定着した感があります。PISA型の読解力は、テキストの内容を正確に理解し解釈するだけではなく、テキストに関して自分の意見を表明することも求めるという点で、日本の読解力教育とはやや異なります。そうした不利はあるものの、特に自由記述の試験での白紙回答が他国に比べ際立つというのは困った問題です。
読解力もさることながら、私は近年、語彙がどんどん乏しくなっているのではないかと憂慮しています。これについては、平成18年6月の文教常任委員会でもサン=テグジュペリの『星の王子さま』の新訳本を例にとって指摘させていただきました。旧訳では「ウワバミ」となっていたのが新訳では「大きな蛇」、「けんのん」は「危険」、「こなれる」は「消化する」と変わっています。最近では、天気予報の「宵の口」がよくわからないというので「夜のはじめごろ」と改めることになりました。なぜ、こんなことになるかというと、学校で教えないからです。教科書に載っていないのなら、本を読ませればいいのです。本県としても「読書教育」を小中高すべての課程において、さらに重視すべきであると思います。同時に児童・生徒に国語や言葉の面白さを実感させるためには、教育する側の技術も必要です。国語を教える力の育成にも、県として取り組んでいくべきでしょう。
『祖国とは国語』という著書もある数学者の藤原正彦氏は「根本はすべて国語。語彙が乏しいと、論理的思考もできなくなる」と述べておられます。そう考えると、理科系には優れた文筆家が多いのです。「春宵十話」「月影」などを著した岡潔や、幅広い評論と文学書の編集で活躍する森毅は数学者ですし、随筆家で俳人でもあった寺田寅彦は物理学者です。また、藤原氏の父君である新田次郎はもともと気象学者でした。
そこで、教育長に伺います。
私は、国語はすべての学問の基礎であり、生きる力すなわちすべての教養の基礎でもある、大変に重要なものだと考えています。そのような認識に立ち、今後、神奈川県として、国語教育の充実にどのように取り組んでいくのか、教育長の所見を伺います。
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