カールスルーエのLRTを一躍有名にしたのは、1992年のドイツ国鉄(DB)への乗り入れによってである。見るからに簡便軽快な路面電車が、国鉄の線路を走るというのは、尋常なことではない。(都電が東海道線の線路を走る図を想像してみよう)
しかも、ドイツをはじめヨーロッパの鉄道車両は、日本のものに比べ、かなり長大で、運転速度も格段に速い。地下鉄ですら、一般の鉄道との乗り入れは困難なほどである。カールスルーエ市交通局(VBK=Verkehrsbetriebe
Karlsruhe GmbH)は、過去(1958年)にローカル私鉄であるアルブタル鉄道(現AVG=Albtal-Verkehrs-Gesellsschaft
mbH)への乗り入れを、線路の軌間の違いを越えて、実現させた実績を持っている。
それが、同じ軌間を持つDBに乗り入れるまでには、30年以上の時を待たなければならなかった。なにしろ、カールスルーエ付近のDBは最高200km/h運転である。そこに、路面電車で乗り込むのは、原付でアウトバーンを走るようなものではないか。
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カールスルーエ運輸連合にて
Dr.Zimmermannから説明を受ける
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しかし、1980年代に入り、カールスルーエ市と近郊のBretten(ブレッテン)を結ぶDB路線に廃線話が持ち上がる。維持しようとすれば、カールスルーエが財政負担をしなければならない。市内を走るトラムを、そのままブレッテンに直行させられれば……。
そこで開発したのが、トラム型Sバーンだ。直流(市内)と交流(DB路線)双方に対応し、最高速度も100km/hを誇る。現在では、このトラム型Sバーンを使って、ブレッテン線以外にも、市内線と近郊都市を結ぶ多くの直通列車を走らせている。その結果、カールスルーエ近郊の交通環境は格段に利便性が向上した。ちなみに、直通運転をしている都市で最も遠いFreudenstadt(フロイデンシュタット)はカールスルーエから100km以上、離れている。
もうひとつ特徴的なことは、1995年、運行を担当する事業者(VBK、AVG、DB)と関係自治体が共同でKVVを設立し、運賃の均一化と低廉化を図ったことだ。KVVの運行エリア内をいくつかのゾーンに分け、ゾーン内であれば1枚の切符で乗換も含めて利用できる。東京や横浜でも、取り入れてもらいたい制度である。
以上のことを踏まえ、Zimmermann氏に話を聞いた。
Zimmermann氏は、「緑の党」の交通政策のブレーンを務めていると聞きましたが。
「交通機関の選択が、そのまま環境保護になる。環境保護を前面に出して叫んだりはしません」
ご自身の通勤手段は。
「自宅から駅まで自転車。電車を降りたら、オフィスまで、また自転車、ですね」
今、最も力を入れていることは。
「近郊電車(Sバーン)をいかに魅力的にアピールして、自動車からの乗り換えを促進できるか、ということ」
何をセールスポイントにしているのですか。
「車の持つメリットに、どう対抗するのかを考えました。
[1]時間に関係なく使える……
LRTも早朝4時から深夜2時まで運転している。
[2](ラッシュ時を除いては)速い……
トラムは車より遅いイメージがあるが、テストを行なった結果、市内から30km圏内なら、どんな時間帯でも電車のほうが速かった。
[3]安い……
ガソリン代だけをコストとするなら、そう考える人もいるかもしれない。しかし、通勤定期は1か月37ユーロで、夜7時を過ぎれば、自分以外に4人まで一緒に乗ることができます。60歳以上は定期代が22ユーロに割引されほか、障害者や生活保護受給者は無料です。6ユーロで5人まで1日乗降自由というチケットもあります。これは、1台の乗用車に5人乗れることを意識したものです」
ここに来るまで市電を使ったが、学生の乗客が多かったように思います。
「カールスルーエは学生の町です。大学以外の学生や高校までの生徒用として22ユーロの定期券を用意している。大学生は11ユーロ。
なぜかというと、大学は朝の8時から夜の10時まで授業があり、ほとんどの学生は1日1往復しかできないから。カールスルーエ工科大はドイツ最古の工科大学です。ドイツ中から優秀な学生が集まっているから、勉強熱心なのです」
黒字なのですか。
「ドイツに赤字じゃない公共交通なんてありません。1年間の延べ乗客数は1億8000万人で、1日あたり493,000人ですが、97%が定期券(1日乗車券を含む)の客なのです。市から年22億ユーロの補助が出ています」
まさに、市民のための市電ですね。
「DBと市電が直通運転をする前は、カールスルーエ中央駅での乗り換えが面倒でした。中央駅は市街地からはずれたところにあり、市街地からの、また市街地へ行く多くの乗客は市電との乗り継ぎをしていたから、直通運転でかなり便利になったはずです。
現在、実質的なターミナルは市役所前。市税を多く注ぎ込んでいる市電にふさわしい場所だと思います」
Sバーンのきっかけになった、ブレッテン路線は、その後どうですか。
「カールスルーエ−ブレッテン間の約30kmに3つしかなかった駅を12に増やし、19時ブレッテン着の電車が最終だったのを、午前3時まで延ばしました。1992年に1日2,000人しかいなかった乗客は、今では16,000人です」
市電復活のきっかけは、なんだったのですか。
「復活もなにも、カールスルーエの市電は100年前から続いています。第二次大戦で、市内の建物は破壊されたが、線路は残っていました。'50年代から'70年代にかけて、多くの自治体が市電からバスへの転換を図りましたが、カールスルーエは、そうしませんでした」