2006年のメッセージ

 <「もったいない」を終わらせない。>
2006.02
司会は環境ジャーナリストの枝廣淳子さん。
浜中裕徳・かながわ地球環境保全推進会議の会長であり慶應義塾大学環境情報学部教授。
松沢成文・神奈川県知事が参加。
クイーンズサークルでは、“もったいない”作文コンクール等に 入賞した子どもたちとともに。

 2月15日、ワンガリ・マータイさんを横浜にお迎えいたしました。
 マータイさんについては、このサイトの「もったいない運動」のページでも紹介していますので、ぜひ、ご一読を。
 今回は、昨年2月以来、1年ぶり2度目の来日。
 2月11日(日本時間)のトリノオリンピック開会式で、女優ソフィア・ローレンらとともに五輪旗を持って入場行進をしていたと思ったら、12日には日本に到着。来日後は、東京、福島、千葉、神奈川、福岡、大阪、静岡などで講演やシンポジウム、子どもたちとの交流にと大忙し。本当に、お疲れ様でした。
 私は、昨年6月に出版した『もったいない』という本の筆者ということで、13日のレセプションに続き、15日のシンポジウム等にお招きをいただきました。
 横浜国立大学での記念植樹を終えて、マータイさんはパシフィコ横浜へ。
 ここでは、マータイさんの基調講演に続き、宮脇昭・横浜国大名誉教授、松沢成文・神奈川県知事、中田宏・横浜市長も参加してシンポジウムが行なわれました。
 基調講演では、予定を大幅にオーバーしながら、グリーンベルト運動について、3Rについて、日本で出会った「MOTTAINAI」や風呂敷のすばらしさについて熱く語りました。
 廃棄された薄いビニール袋が不潔な水溜りをつくり、そこにボウフラが湧いてマラリアを流行させることなど、初めて聞いた方も多かったのではないかと思います。
 続いて、会場を<クイーンズサークル>に移し、「子どもたちからMOTTAINAIを!〜マータイさんを囲んで〜」を開催。「“もったいない”からはじめよう!作文コンクール」(県主催)で入賞した小中学生の皆さんも参加しました。
 小学校低学年の部で最優秀賞を受賞した、横浜市立大門小学校2年・古山絢子さんの『おばあちゃんちのみかん』の朗読を聴いたマータイさん。「おさがり」のくだりをはじめ、短い文章のなかに3Rをすべて包含していることに感銘を受けているようでした。
 また、マータイさんは、3R(リデュース、リユース、リサイクル)に1R(リスペクト=尊敬)を加えた4Rという考え方を紹介。「もったいない」は、けっして物を節約するだけのことではなく、自然を尊び、人の心や可能性を大切にすることに、その本質があると看破されました。
 昨年、マータイさんは日本に来て「もったいない」という言葉を発見しました。その話を聞いて、私たちは「もったいない」がこの国の、あるいはこの世界のどこに息づいているのか、実体を探す旅に出たのです。『もったいない』という本は、その旅の記録といってもよいでしょう。この日、マータイさんから4Rの話を聞き、私たちが旅に出た方角は、けっして間違っていなかったと確信しました。
 マータイさんは、2月22日に離日されましたが、これからも世界各地で「MOTTAINAI」を広めるために行動を続けることでしょう。私たち日本人が、もし、この「もったいない」を一過性の流行として終わらせてしまったら……。
 少なくとも、私は、ワンガリ・マータイという偉大な精神に出会えたことを感謝しながら、「もったいない」の世界を掘り下げつづけたいと思います。

 <和を以って尊しと成す。>
2006.02

トリノオリンピックが始まって、早や1週間。
アメリカの雑誌『Sports Illustrated』が日本のメダル獲得を「銅2個」と予想していましたが、なんとなく「当たり」かな。
 がんばれ、ニッポン!
 それにしても。
 テレビに映し出されるトリノの町並みの美しさ。
 イタリアン・バロックの建築が、格子状の街路に沿って規則正しく、そして隙間なく建ち並んでいます。
 数えるほどの新しいビルや、教会の尖塔らしきものを除けば、建物の高さも、ほぼ統一されています。
 私たちの暮らす日本の都市には、もはや様式美も調和もまったく存在しないだけに、羨望の念を禁じ得ません。
 しかし、「和の美」というのは、本来、日本のお家芸のはず。
 日本人は、古くから自らの心やかたちを「和」という一文字にこめてきました。
 広辞苑で「和」を引くと、@過不足なく、よろしきにかなうこと。
 おだやかなこと。のどかなこと。A仲よくすること。等とあります。
 和を以って尊しと成す、は聖徳太子の有名な教えです。
 日本人は、和(なご)み、和(やわ)らぎという感覚を大切にしています。
 調和、融和、協和で人々との関係を上手に保とうとしてきました。
 柔和、温和は人の徳のひとつです。
 逆に、家の中がうまくいかなくなれば家庭「不和」です。
 そして「和」、すなわち「やまと」は国の呼び名にさえなっています。
 和式、和風といえば、紛れもなく日本のスタイル、流儀のこと。
 しかし、都市計画やまちづくりについていえば、「和を以って尊しと成す」を具現化しているのは、むしろ個人主義が発達した欧米諸国のような気がします。
 日本と比べ、建物の寿命がはるかに長いので、直近(とはいっても何百年前)に栄えた様式が残りやすい、ということもあるでしょう。
 しかし、仮にスクラップ&ビルトを行なうとしても、徹底して伝統と調和することが求められることが多いのです。
 ヨーロッパでは、伝統的な街並みにおいてはもちろんのこと、一般市街地や、農村の集落にいたるまで、家作りに対する決まりごとが多い、というのはよく聞くところです。
 「その土地はお前さんのものに違いない。しかし、景色はこの土地に住むみんなのものだ」というわけです。
 「和を以って尊しと成す」だけでは真実に近づけない。
 ときには摩擦も争いも必要だ、という方もいらっしゃいます。
 たしかに、絶対的な「理」を追究しているときは、そういうこともあるでしょう。
 しかし、たとえば外交のように、思想も立場も異なる者同士が、相対的な「利」を求める場で、自論にばかりこだわっていては「不和」を招くばかりです。
 和を以って尊しと成す。
 この言葉の含み蓄えるところを、この際、見直してみませんか、小泉さん。

 <中田市長、やめてみるのも手ですよ。>
2006.01

いえいえ、市長職の話ではありません。
 きのう、横浜アリーナで行なわれた横浜市主催の成人式に出席しました。
 巨大な会場は、式典が終わるまで一瞬たりとも静まり返ることはありませんでした。
 国歌独唱のときも、市長や市議会議長(午後の回は副議長)のスピーチのときも、元サッカー日本代表の井原正巳選手が話をしている間も、旅客機の機内にこもるノイズのようなざわめきが、会場全体に充満しています。
 横浜市では「成人の日」記念行事あり方検討委員会という機関があり、平成16年9月、式典のあり方について「提言」をしています。
 そこでは、年々、本来の「成人式」の意義が薄れていることから、もっと小単位での開催が理想としながらも、会場や警備の都合上、横浜アリーナでの開催が現実的であると、結論づけています。
 市長の話を短くしたり、出席議員の紹介を取りやめたりと、ある意味で若者におもねってみてはいますが、それで式典が引き締まるはずもありません。
 「あり方検」の調査でも明らかなように、成人の「成人の日」に対する意識がバラバラという状況のなかで、一万人以上も集めて式典を行なうこと自体に無理がきているのだと思います。
 コンサートのような一体感を求めるつもりなど、さらさらありませんが、ステージ上の主催者やゲストと、一万人以上もの参加者の間に、さらにいえば、その参加者の中にさえ連帯感がほとんど生まれないまま、たかだか40分とはいえ時空を共有せざるをえない光景は、もはやグロテスクといっても言い過ぎではありません。
 テレビ等で報じられた那覇市や盛岡市のような「荒れる成人式」と比べればマシ、という声も聞こえてきますが、そんなレベルの低い話をしても、しかたありません。
 「提言」では、区ごとに開催しても、8万人から30万人という人口を擁しているので「顔の見える」式典とはならず、また、各区の公会堂の定員は500〜600人前後のため、新成人を収容しきれないとしています。
 「区」が自立したいっぱしの自治体であれば、公会堂の2倍以上のホールも持てるのでしょうが……。
 もうひとつ、「提言」では中学校区単位での開催にも言及しています。
 市内145会場にも及ぶため、スタッフの手当てや警備に関する問題が生じるとしていますが、私は一考に値する案だと思います。
 「提言」の中には「記念式典を行政が主催することへの意義」についても検討をしたとありましたが、成人式はなにも行政機関が主催しなければならない、ということもないでしょう。
 成人式の本来のかたちについて、私はよく知りません。
 しかし、家族や親族、地域の方々など、「縁者」によって祝ってもらい、そこで大人としての自覚を新たにする、というのが原点のような気がします。
 地区センターや学校の体育館でやっても、若者は集まらない、かもしれません。それならそれで、いいじゃないですか。
 式は式として意義を追求し、はしゃぎたいのであれば、どこでも好きなところに繰り出しゃいいんです。
 今の「成人の日」記念行事は、クリスチャンでもない人々が、クリスマスに集まって、パーティのためのパーティをやるのと似ています。
 そろそろ考え直すときかもしれませんよ、中田市長。
 あ、それから。
 出席議員の紹介についてはアンケートの結果、多くの人が「不要」と答えたため廃止したとのことですが、選挙管理委員会は、それでよいのですか。
 ひとりひとり名前を呼んで、いちいち手なんか振らせているから時間ばかりかかるのであって、区と氏名を全員まとめて読み上げて、これも全員で起立!回れ右!礼!でやれば、半分くらいの時間で済むのではないでしょうか。
 「自分の区の議員も来ているんだ」と思ってくれるだけでも、選挙に対する意識が違ってくるとおもいます。