トリノオリンピックが始まって、早や1週間。
アメリカの雑誌『Sports Illustrated』が日本のメダル獲得を「銅2個」と予想していましたが、なんとなく「当たり」かな。
がんばれ、ニッポン!
それにしても。
テレビに映し出されるトリノの町並みの美しさ。
イタリアン・バロックの建築が、格子状の街路に沿って規則正しく、そして隙間なく建ち並んでいます。
数えるほどの新しいビルや、教会の尖塔らしきものを除けば、建物の高さも、ほぼ統一されています。
私たちの暮らす日本の都市には、もはや様式美も調和もまったく存在しないだけに、羨望の念を禁じ得ません。
しかし、「和の美」というのは、本来、日本のお家芸のはず。
日本人は、古くから自らの心やかたちを「和」という一文字にこめてきました。
広辞苑で「和」を引くと、@過不足なく、よろしきにかなうこと。
おだやかなこと。のどかなこと。A仲よくすること。等とあります。
和を以って尊しと成す、は聖徳太子の有名な教えです。
日本人は、和(なご)み、和(やわ)らぎという感覚を大切にしています。
調和、融和、協和で人々との関係を上手に保とうとしてきました。
柔和、温和は人の徳のひとつです。
逆に、家の中がうまくいかなくなれば家庭「不和」です。
そして「和」、すなわち「やまと」は国の呼び名にさえなっています。
和式、和風といえば、紛れもなく日本のスタイル、流儀のこと。
しかし、都市計画やまちづくりについていえば、「和を以って尊しと成す」を具現化しているのは、むしろ個人主義が発達した欧米諸国のような気がします。
日本と比べ、建物の寿命がはるかに長いので、直近(とはいっても何百年前)に栄えた様式が残りやすい、ということもあるでしょう。
しかし、仮にスクラップ&ビルトを行なうとしても、徹底して伝統と調和することが求められることが多いのです。
ヨーロッパでは、伝統的な街並みにおいてはもちろんのこと、一般市街地や、農村の集落にいたるまで、家作りに対する決まりごとが多い、というのはよく聞くところです。
「その土地はお前さんのものに違いない。しかし、景色はこの土地に住むみんなのものだ」というわけです。
「和を以って尊しと成す」だけでは真実に近づけない。
ときには摩擦も争いも必要だ、という方もいらっしゃいます。
たしかに、絶対的な「理」を追究しているときは、そういうこともあるでしょう。
しかし、たとえば外交のように、思想も立場も異なる者同士が、相対的な「利」を求める場で、自論にばかりこだわっていては「不和」を招くばかりです。
和を以って尊しと成す。
この言葉の含み蓄えるところを、この際、見直してみませんか、小泉さん。
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