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介護施設敷地内のレンガタイル
波打っているのが、おわかりだろうか |
長岡市から柏崎市に向かう峠道。路面にうねりが生じているのだろう、車が波を乗り越えながら進む小船のように、縦揺れを繰り返す。
7月30日。新潟県中越沖地震が起きた7月15日から既に半月が過ぎてしまってはいたが、私たち公明党神奈川県議団の有志4名は、参院選の戦いを終えるや否や、被災地に向かったのである。今回の現地調査の目的は、大規模な災害が発生したときに、高齢者や障害者など要援護対象の人々が、どのような避難生活を強いられるのかを調べ、さらには、援護の主体となる民間機関が、その活動のなかで直面する行政システム上のさまざまな不都合を知ることにあった。
西山インターチェンジから北陸自動車道に乗る。インター周辺の集落には、屋根を青いビニールシートで覆った家屋が目立つ。古い納屋など、完全に倒壊してしまっているものもある。
柏崎市では、複数の特別養護老人ホームにお邪魔し、お話を伺った。ある施設では、発災直後から要援護者の受け入れを行ない、一時は定員の2.5倍以上に膨れ上がった。当日、デイサービスを受けに来ていたが、帰宅することができず、そのまま滞在というケースも少なからずあったという。当然、衣食住のすべてが不足する。3日分の非常用備蓄は1日半で底をついた。あらゆる手段を使ってベッドをかき集め、部屋という部屋に運び込んだ。廊下にまでベッドを置いた。褥瘡を防ぐためのエアマットも手配しなければならなかった。プライバシーを守るためにはパーテションが必要だが、そこにまで手が回らなかった。最初の3日間は、まさにザコ寝状態。職員も不眠不休で働いたが、そのなかには自宅が被災し、いまだに避難所から通っている人もいる。
今回の復旧作業でよかったのは、道路の補修が早かったことだ。おかげで、食料などの物資輸送が滞らなかった。
ライフラインは、電気が真っ先に復旧した。多くの施設では、冷暖房や給湯をガスに頼っているが、そのガスは、まだだ(7月30日現在)。水道は復旧しているが、受水槽の検査が済むまでは、飲用や炊事に供せないのだという。ある施設では、衛生的な水の供給を自衛隊にお願いしている。自衛隊の復興支援部隊が施設の駐車場を使って基地を設置している、そのメリットを生かした格好だ。また、自衛隊は、地域住民に対し、お風呂の提供もしてくれている。施設でも、自衛隊に湯を沸かしてもらって、施設内の浴槽に入れてもらっている。湯を汚さずに使う必要があるので、かけ湯のみだが、お風呂の真似事ができるようになっただけでも、ありがたいという。特殊浴槽が必要な要介護者のために、訪問入浴車も借りてきた。
炊事などはLPガスのボンベを設置して、しのいでいる。柏崎市では市ガス水道局が天然ガスを供給しているため、施設の厨房機器もすべて都市ガス用だが、LPガスで使えるようにするための変換器が役立っていた。