2002年のメッセージ

 <今の時代を色にたとえると……>
2002.12

先日、約百名の方に「今の時代を色にたとえると」というアンケートをとりました。
結果は、約8割近い方の答えが「灰色」。
なかには虹色(理由…色の濃淡はあるにせよ、どんな人も心に虹=希望はあるはず)、黄色(花粉症のシーズンなので・・・)などユニークな返答もありましたが、戦争・不況・犯罪の増加・老後の生活など、皆の不安はつきない事が、色を通して、伝わってきました。
さて、この問いに対し、私は「いぶし銀」と答えました。
バブル期のような派手な時代は完全に終わりを告げ、いよいよ「成熟」の時代が来たと思うのです。うわべでなく「本当の豊かさ」が問われる時代とも言えます。
私は街づくりにおいても、「いぶし銀」のような、住めば住むほど、その良さが実感できる保土ヶ谷を目指していく所存です。

 <設計者であり、現場監督。>
2002.11

編集者は、意外とツブシがききません。写真を撮らせればカメラマンにかなわないし、文章は作家やライターほど達意ではないし、レイアウトの線を引くのはデザイナーというプロがいる。ほかにも、スタイリスト、ヘア&メイク、イラストレーターetc.と、いろいろな専門家の助けを借りなければ誌面を作ることができません。
それでは、編集者は何のためにいるのか。
上にあげたそれぞれのプロは、もちろん、高い能力も持っていますが、人一倍、表現欲求の強い人たちです。その能力や欲求を生かしながら、あらかじめ決められたテーマに適った誌面を作るためには、きちんとした設計図が必要です。
編集者とは設計者であり、また、その設計図どおりに作業を進めさせる現場監督なのです。
設計図を作る段階でも、プロの協力は不可欠です。また、現場監督として作業を監理するほか、スムーズに仕事が進むように、取材先へのアポイントメント、撮影の段取り、アシ(移動手段)やメシ(スタッフの食事)の手配等にも抜かりのないようにします。
政治家も然り。自分で道路を作れるわけではないし、建物を建てられるわけでもありません。川をきれいにできる技術も持っていないし、階段の手すりひとつ付けられるわけでもない。
ことごとく専門家の知恵をお借りしながら政策を練り上げるわけですし、また、それを実行に移すときにも専門家の力を集結させなくてはなりません。
編集者も政治家も、ともにオーガナイザーとしての能力が求められていると、私は思います。

 <伝えるだけでは、気が済まない。>
2002.10

あたりまえのことですが、有名人をバッシングしたり、スキャンダルを暴いたり(作りあげたり)するだけが雑誌ジャーナリズムではありません。
私が長く携わってきたのは、いわゆるライフスタイルマガジン。より楽しく美しく豊かな生活を読者に提案するために存在する雑誌です。記事を作るためには、そういう生活を実践している人々や、その生活をサポートしてくれる物や店や企業を、国内外問わず取材させてもらいます。
その取材対象をたくさん見つけ出すことが、編集者の仕事です。ジャンルは実にさまざま。ファッション、ヘア&メイク、インテリア、雑貨、建築、アート、音楽、フード&ドリンク、ヴィークル(車やバイクなど)、スポーツ等々。
それぞれの分野で、今、いちばん面白いことを取材し、それを読者に伝えます。そんな仕事が、楽しくないわけはありません。だから、だんだん伝えるだけでは気が済まなくなってくる。自分でもやってしまうんですね。
これから政治に携わると、ジャンルこそ町づくりや環境保全、福祉、教育、交通、治安、産業振興といったものに変わりますが、お手本となるような事例を県内外、国内外に探し求めるのは取材のようなものですし、優れているものがあれば、それを研究し、なんとか保土ヶ谷流、神奈川流にアレンジして導入できないか、きっと挑戦するでしょう。
そんな編集者魂。政治の世界で生かしてみせます。

 <街を歩く、人と会う、現場に立つ。>
2002.09

私の勤めていた出版社は、「新しい情報を、かつてないスタイルで伝える」ことをモットーとしていました。
ファッションひとつとっても、テレビや新聞が、すでに流行っていることを報じることが多いのに対し、雑誌は、これから流行りそうなことをいち早く読者に伝える使命があります。しかし、この、流行の兆しを見つけることが意外と難しい。
パリコレに登場したから、仕掛人がこう言ったからこれが流行る、と言い切れれば簡単なのですが、実際は原宿の小さなお店で静かに売れ続けていたり、芸能人が密かに身に付けていたりすることが発火点になることが多いのです。
雑誌編集者は、そういう小さいけれど確かな「種火」を、街を歩き、聞き込みをしながら探します。これは、というものを見つけ出せたら、そこに油を注ぎ空気を送る。うまく大きな炎になれば、まさに雑誌屋冥利に尽きるというものです。
一方、政治家も常に市民生活に目を配り、人々が何に悩み、何を欲しているかを見定め、手を打たなければなりません。
大衆社会を凝視し続けるという点では、雑誌作りと一脈通じるところがあると、私は思っています。