5月25日

「ARAKI by ARAKI 久しぶりの、パーティ」

 写真家の荒木経惟(のぶよし、と読みます)さんは、1940年5月25日生まれ。この日は63歳の誕生日なのでした。会社を辞める前の9月(2002年)に会ったきりですから、8ヶ月ぶりの再会です。その間に、私の人生は大きく変わっていたわけで。
 荒木さんの存在を写真雑誌を通して知ったのは、昭和47年ごろでした。高校生でしたが、怪しい写真展にも出かけていきました。その後、出版社に入った私は、本当に偶然、荒木さんの担当編集者になりました。昭和60年ごろだったと思います。編集部は「平凡パンチ」でした。その後、書籍出版部、ブルータス編集部、そしてポパイ編集部と、行く先々で一緒に仕事をさせていただきました。
 1990年に最愛の奥様、陽子さんを亡くされたことを契機に、マスコミの表舞台に立つことが多くなり、仕事の場もどんどんメジャーになっていったような気がします。大手出版社はこぞって荒木本を出し、ヨーロッパの美術界からも引く手あまたとなりました。

 私自身、荒木さんが「そんな遠くまで行っていられるか」というので、じゃあ、代わりにというつもりでロンドンのギャラリー(WHITE CUBE)で行なわれた個展のオープニングパーティーに出たことがあります。荒木さんの天才が、多くの人の知るところとなることは、元担当として、一ファンとして、とてもうれしいことですが、1980年代までの、ちょっとアンダーグラウンドで、危険なアラーキーも楽しかった。
 白夜書房とか、ミリオン出版とか、まわりにいた編集者も濃いひとばっかりで。私と同い年で、だけど荒木番としては先輩で、陽子さんのお葬式では一緒に受付をやった平凡社の内田勝さん(その後、TBSに転職)も故人となってしまいました。
 いろいろな出会いを与えてくださった荒木さんには、あらためて感謝の言葉を申し上げたい。どうもありがとうございました。